第四十四話 囲碁

囲碁が好きです。



囲碁と出会ったのは小学校1年か2年の頃でした。親が作った「毎週図書室に行く度に借りられる上限の冊数まで本を借りなければいけない」という決まりがあったので、その日も適当に棚から本を引っ張り出して借りたのですが、そのうち1冊が囲碁の入門書だったのです。それを読んでルールを理解した私は実際に囲碁がやってみたくなり、電車で10分弱のターミナル駅の目の前にある碁会所に連れて行かれることになりました。幸運だったのはその碁会所がかなり客の集まる碁会所だったということです。周りの碁会所は次々と潰れていきましたが、潰れた碁会所の客が流入する形でどんどん客が増えていき、私が大きくなる頃には県下2番目の規模の碁会所になっていました。あそこが途中で潰れていたら私の囲碁人生も大きく変わっていたことでしょう。


「将棋や囲碁をやると頭が良くなる」という俗説があります。難関と言われる高校の囲碁将棋部は強い傾向にある気がしますが、習い事は何でも教育熱心なご家庭の集まる学校が強いと相場が決まっているので、そこのところの因果関係は分かりません。私に限って言えば私には全く囲碁の才能がなく、大分小さい時から始めたのに上達は遅々たるものでした。私は勉強に関してはよくできる方だと思いますが、クリエイティビティの方に問題があるので、右脳をよく使うと言われる囲碁には向いていなかったのかもしれません。


それはさておき、上達はしなくても結構囲碁が好きだった私は毎週碁会所に通い続けました。私が低学年の頃は碁会所のマスターではなく別のおじいちゃんが稽古をつけてくれていたのですが、これが結構厳しいおじいちゃんで何度も泣くはめになりました。私が打たれ弱いのもあるんですけれども。4年生頃からはマスターと打つようになりました。おじいちゃんはその頃からあまり碁会所に来なくなり、もう大分前にいつのまにか亡くなってしまいました。身近な人の死というのはそれが初めてだったのかもしれません。亡くなったのを知ったのが実際に亡くなってから大分後だったので、中2の時に亡くなった自分の祖父とどちらを先に認識したのかは覚えていませんが。


マスターは極めてサバサバとした人で、そのあっさりした人柄が何だかんだ愛されているようでした。あととんでもない酒飲みでした。酒飲みというと豪快なイメージがありますが、彼の場合はのべつまくなしに勢いよく飲んでいるだけでちっとも酔っ払わないので、見ていると水を飲んでいるのとちっとも違いが分かりません。よく私と打ちながらコップで飲んでいました。午前中だったんだけどなあ。


なかなか上達しない私も高2の終わりについに重い腰を上げて初段の免状試験に行きました。初段が欲しい人たちで集まって、2勝2敗以上の成績を収めれば免状がもらえるというものです。マスターから「3勝はできるよ」というお言葉をいただいて参戦したのですが、1勝した後2連敗し、同じ星数の人と当たることになって地獄を見ました。結局勝てたので免状はもらえましたが、あんな怖い目には二度とあいたくないと思います。数ヶ月後に立派な箱に入った免状が送られてきて、箱を開けると丈夫な和紙が墨の匂いと一緒に出てきました。墨の匂いというのは何とも言えずいいものです。


小6の夏休み明けから中学に入学するまでの間勉強のためにお休みをいただいていた以外は熱心に通っていたのですが、高3の夏休み明けにまたお休みをいただいて以来未だに定期的には行っていません。受験が終わった時に報告には行ったのですが、それからもうずっと行っていないことになるでしょうか。碁会所という性質上お年寄りが多いところなので行っていないというのもありますが、それ以上に私に新しいことを始める根性が足りないのでしょう。しかしあの碁会所のことも心配です。あそこはお年寄りが来なくなったら商売あがったりですし、そもそもあの元気なマスターも私が行っていた最後の方は足が悪くなったり目が病気になったりして流石に歳だなあという雰囲気になっていました。まだ元気にやってるといいのですが。見に行ってみようかなあと思いつつ何となく時が経ってしまっています。こうやってきっと色んなことを後悔してきたのだし、これからもしていくのでしょう。



それではまた。